これは記事「AI時代にSaaS企業はどう生き残るべきか」の討論編です。本編で出した「コンカフェ等キャスト業態に特化した勤怠・シフト管理サービスに参入し、機能ではなく当事者性で守る」という戦略を、立場の違う3人にぶつけました。私(高野)は現場を持つ当事者として応答します。
名前は仮名、話し方は各自の持ち場に沿った一般的なもので、特定の実在人物を模したものではありません。そして、議論を無理にまとめません。噛み合わないところは噛み合わないまま残します。都合よく合意させた討論は、判断材料になりません。
参加者
- 森田(事業戦略)
- 岸(エンジニア / データ)
- 大野(投資・財務)
- 高野(当事者・店舗運営)
第1ラウンド 3者それぞれの異論
森田(事業戦略):まず市場の大きさを疑う。「業界特化で守れる」のは分かった。ただ、守れることと儲かることは別だ。SaaSの売上は、店舗数×単価でほぼ決まる。コンカフェやガールズバーが全国で数千店として、単価が月1万円。仮に全店取っても、規模は限られる。深く掘るのはいいが、掘っている穴そのものが浅くないか。特化の罠だ。狭く深くやると、深さは出るが、面積が稼げない。
岸(エンジニア):私は「データが溜まるほど賢くなる」という堀に懐疑的だ。理論としては正しい。でも、最初の1年か2年はデータがない。コールドスタート問題だ。データがない期間は、結局よそと同じ機能しか出せない。堀ができる前に、時間と金が尽きるほうが普通だ。もう一つ言うと、勤怠やシフトのデータ量と、予測の精度が本当に比例するのかも、まだ誰も確かめていない。「データがあれば賢くなる」は、願望かもしれない。
大野(投資・財務):私は問題設定そのものを疑う。本編は「シフトの最適化」を軸にしているが、最適化というのは、候補が余っている前提で成り立つ技術だ。誰をどこに置くかで悩めるのは、置ける人が足りているときだけ。ところが現場の悩みは人手不足でしょう。だとしたら本丸は最適化ではなく、そもそも人を集めること、穴が空いたときの代打を見つけることだ。投資家として言えば、需要のない機能に金を入れるのが一番こわい。あと、小規模店は解約が多そうだ。顧客獲得コストを、短い契約期間で回収できるのか。ユニットエコノミクスが見えない。
高野(当事者):3人とも、痛いところを突いている。順に答える。森田さんの天井は認める。だから最初から大きな市場を狙う気はない。小さく、確実に取れるところから始める。岸さんのコールドスタートもそのとおりで、だからデータの堀は最初の武器にしない。初期は、自社の店で使っている制約——深夜の日跨ぎ、掛け持ち、インセンティブ——をテンプレートとして埋めておく。堀は後から効かせる。大野さんの指摘が一番効いた。最適化が本丸かどうかは、正直まだ分からない。だから、自社の店で2か月測るつもりでいる。希望の提出率、必要人数に対する充足率、確定後の変更回数。それを見てから、最適化に張るか、充足に張るかを決める。そして、一番の弱点は3人の誰も言っていない。導入の入口だ。この業態は、そもそもツールを入れる文化が薄い。
第2ラウンド 噛み合わせ
森田 → 高野:小さく始めるのは賛成だ。ただ、小さく始めて小さいまま終わる事業を、山ほど見てきた。本編には「二次ターゲットとして深夜飲食25万店へ広げる」と書いてあったが、そこは本当に地続きか。特化で作り込んだものほど、横に展開しにくい。コンカフェの制約をびっしり詰めたプロダクトを、普通の居酒屋に持っていっても、余計な機能だらけで使いにくい。特化の逆説だ。
高野 → 森田:横展開の難しさは、そのとおりだと思う。作り込むほど余所へ持っていけない。ただ、その反対側で、汎用で薄く広くやる道は、本編で書いたとおりAIに殺される棚だ。月110円で同じ機能が並ぶ。特化して横に広がらないのと、汎用で価格に沈むのと、どちらの死に方を選ぶか、という話に近い。私は前者のほうがまだ生きられると思っている。
大野 → 岸:さっきの充足の話だが、技術的にはどうなんだ。代打マッチングのほうが、最適化より作るのは軽いのか。
岸 → 大野:それが、軽くない。代打マッチングは、代打を引き受けてくれる人がいて初めて成り立つ。求人と求職の二面市場で、両側を同時に立ち上げないと動かない。二面市場のコールドスタートは、単なる最適化より難しいことが多い。だから「最適化より充足が先」というのは、痛みの順番としては正しくても、作りやすさの順番としては逆かもしれない。
大野:だとすると、最適化も充足も、初期はどちらも重い。それなら結論はこうじゃないか。無理にSaaSとして外に売らず、自社の店で使う道具に留めておくのが、一番損の小さい選択だ。プロダクト化そのものを疑うべきだ。
森田:それは事業機会を捨てる話だ。当事者性という武器を持っていて、市場に空白があると分かっていて、自社利用で止めるのは、もったいない。守りに寄りすぎている。
大野:もったいないで金を溶かすのが、一番もったいない。
噛み合わなかった点
議論は、いくつかの対立を残したまま終わった。埋めなかったのではなく、机の上では埋まらない。
- 市場の天井(森田: 特化は面積が稼げない) vs 特化の必然(高野: 汎用は価格に沈む)。これは事業の生き方の選択で、正解が一つに決まらない。
- データの堀は本物か(岸: データ量と精度の相関が未検証)。これは検証されていない仮説で、測るまで誰も断言できない。
- 最適化か、充足か、そもそもSaaS化するな(大野・岸)。痛みの順番と作りやすさの順番が食い違っていて、机上では解けない。
高野の締め
討論は合意に至らなかった。それでいい。3人が開けた穴は、この場で言葉で塞ぐものではなく、現場で数字を取って塞ぐものだ。
やることは決まった。第一に、自社の店で2か月、希望提出率・充足率・変更回数を測る。それで「最適化か充足か」の当たりをつける。第二に、ユニットエコノミクス——解約率と顧客獲得コスト——の実数を、小さく売ってみて確かめる。大野の疑問は、これでしか答えられない。第三に、横展開の可否は、特化プロダクトを一度別業態に当ててみて確かめる。森田の懸念は、それで見える。
この3つの数字が出るまで、本編の戦略には「仮説」の札をつけたままにする。討論で威勢よく反論しても、現場のデータには勝てない。筋の良し悪しは、最後は測って決まる。
→ 本編の読み物: AI時代にSaaS企業はどう生き残るべきか → 根拠データ編: 勤怠・シフト管理サービス参入の市場データ
この討論は、自社で店舗を運営しながら新規事業を検討する立場から書いています。データローは、データ活用のコンサルティングと店舗運営の両方を行っています。事業仮説の壁打ちやデータ検証のご相談は、お問い合わせから。